たてただけ

三日坊主にすらなれない

「SSSS.GRIDMAN」について、あれこれと考察

 8話終了後に特撮自信ニキの友人とのボイスチャットを3時間ほどした結果、なかなか面白い考察がいい線までいったので、書いていこうかなと思います。

 

 8話終了時点での本編の内容、特撮作品かつ本編のルーツである「電光超人グリッドマン」の内容の一部、2015年に「日本アニメ(ーター)見本市」の9話として公開された、監督・制作が同じ雨宮氏とTRIGGERの「電光超人グリッドマン boys invent great hero」、ならびにYouTubeに1週間限定で公開されているボイスドラマの一部を参考に考察しています。全てを拾いきれている訳ではありません。

 また、深夜に考えていたこともあり、相当こじつけな部分もあるので、「こんな考え方もあるんだねえ^ ^」程度の軽い気持ちで見ていただければと思います。内容は相当シリアスですが。

 あと、重要な件に関しては画像付けますが、そうでもないことに関しては各自参照お願いします。

 

1.EDの映像はただのサービス映像なのか

youtu.be

 OPの歌詞ならびに映像が本編のシナリオと関係しているのは、

大石氏のツイートもあるように、もはや自明の理であるが、であれば、EDの歌詞・映像も何らかの関連をしているのではないだろうか。いや、そうであるべきだ。まどマギにシュタゲという前例もあり。

 

 というわけで、EDを見た結果、気になる点として

①イントロからサビまでは春頃

②アウトロのみ冬

③六花とアカネが制服をちゃんと着ているが、なみことはっすをはじめ他の子は本編同様崩し気味

④歌唱シーンまでは六花とアカネ2人でいたが、アウトロでは六花が屋上で一人ため息をつく

といった点が挙げられる。

 言うまでもなく本編の季節は夏であるため、①の映像は本編開始前、②はおそらく本編後になるだろう。②に関しては、8話時点で文化祭だったため、ギリギリ本編内になるかもしれない。ただ確かに言えることは、①の映像では六花とアカネは仲睦まじく過ごしていたのに、本編を経て?②になると六花の隣にはアカネがいない、ということだ。

 順不同となるが④についてから先に。春まで二人は屋上で時を共にしていたのに、なぜ冬は六花一人なのか。なぜため息をついたのか。

  そして最も重要なのが③。これについては、「やっぱ六花はいいよ、ほかの子とはちょっと違う」という8話でアカネが話していたことを思い出したい。ちゃんと制服を着ている姿は確かに「他の子とは違う」。

 というかそもそも、このEDの六花自体が「違う」。ご存知の通り、本編では六花も他の子と同じように制服を崩して着ている。本来制服をきっちり着る六花はお目にかかれないのだ。春はそうしていたのか、それとも違う世界線の六花なのか。

 6話のアノシラスちゃんの発言によって、劇中で描かれているつつじ台がコンピューター世界内にあることは確定した。制服をちゃんと着ている六花と、着崩す六花が別の存在である可能性は大いにある。

 EDの映像は現実世界の描写なのではないだろうか。

 

ED関連はひとまずここまで。

 

2.アカネがいじれる範囲と、「つつじ台」の基の考察。そしてアカネが六花に「設定をした」理由

 

 設定したとかあーだこーだと、アカネが作ったとかそういうなんかが気になった8話ですが、色々考えてみます。

 まず、これまでの出来事でアカネのいじれる範囲を考えてみると、

記憶→○ 怪獣の存在を隠蔽できている

一方で、

住民の行動→× 校外学習のために街の外を作る必要に迫られた

といえる。

 そしてアカネは「修正が必要」とも話している。アカネは六花を「私を好きになるように設定した」と言っていたが、2話の担任を見るに、「最初から全員がアカネを好きになるようにしている」というわけではないと思われる。神なのであれば、出来るはずなのにやっていないし、修正しなければならないのはなぜか。

 このことから、現実世界にもつつじ台が存在し、アカネが神となっている、コンピューター世界のつつじ台は、現実世界からコピペしたつつじ台なのではないかと考えた。気に入らないものが存在していて、修正が必要なのは、そのままコピペしたからであろう。

 加えて、行動が規定されており、それにアカネが干渉出来ないのは、現実世界とコンピューター世界がリンクしており、同じ行動が行われているのではないだろうかと考える。淀みなく遂行されている現実世界の現象に、コンピューター世界ではアカネの考えを付加出来る、といったところか。

 そして再び前項の「六花は他の子と違う」に目を向けたい。「他とは違う」という言葉を、「他にはいない」と読み替え、春の時点でアカネには六花しか友人が出来なかったと仮定する(ここヤケクソエリア)。もし現実世界でなんらかのいざこざがあって、六花と仲違いしてしまっていたら、せめてコンピューター世界内では嫌ってほしくないと思うのは自然だろう。だから好きになる→嫌いにならない設定をしたのかもしれない。

 

3.アレクシスの目的

 

 現状アカネの箱庭でしかないコンピューター世界のつつじ台。アレクシスがそのへんの女子高生の憂さ晴らしに付き合うような宇宙人ではないことは、その見た目のおどろおどろしさからして、まずないだろう。なおかつ、アカネのコンピューター世界を後で乗っ取ったとしても、まず意味は為さない。ではアレクシスは何をしようとしているのか。

 ここで特撮版グリッドマンが出てくる。そちらでは、武史が作った怪獣がコンピューター世界で暴れた結果、現実世界に影響を及ぼしていた。それを察知したグリッドマンがコンピューター世界に行き、怪獣を倒して、現実世界への影響を防ぐ、という流れだった。

 アニメ版も、前項までの流れで現実世界があるとして、そちらに影響を与えているのだろうか。そうであれば、アレクシスの目的はもはや明解。コンピューター世界で怪獣を暴れさせ、現実世界を荒らし、その上で現実世界を楽に侵略しようとしているということだろう。いや回りくどくないか?と思ったが、「外注」みたいなものなのだろうか。

 そして恐らくアカネは現実世界に影響していることを知らないと思う、これは完全になんとなく。

 あと派生で、「コンピューター世界で怪獣を試しに暴れさせて、その後で現実世界にコピペする」という手段も考えた。

 

 アカネ製怪獣が知らず知らずのうちに現実世界に影響を出し始めたことに気付き、グリッドマン+新世紀中学生たちが解決のためにコンピューター世界に向かった。

 しかし、アレクシスに待ち伏せされたのか、散り散りになってしまったと思われる。ここは1話アバンにアカネが屋上で見た光と、4話に裕太が見た夢でグリッドマンが貫かれていたことからなんとなく考察。そしてアカネが光を見たカットから、記憶を失った裕太が目覚める。

 

4.裕太の正体

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 これがアカネが見た光のカットであるが、散り散りになった光のうち、上部の4つの光は新世紀中学生、下の1つはグリッドマンと仮定できる。そして、中央に少し弱めに輝いている6つ目の光が裕太、もしくは裕太に関係するなにかであると考えるのは難しくない。

 そして話題は再び6話のアノシラスちゃんに戻る。改めて考えると、いきなり現れて重要事項をひと通り説明して帰るとは、かなり突拍子もない存在である。

 彼女は裕太に「先代が君に世話になった」と発言した。特撮版グリッドマンにおける先代の怪獣アノシラスが世話になったとすれば、それはグリッドマンに対してだ(当エピソードに関しては各自参照)。しかしここでアノシラスちゃんは、裕太のことを名指ししている。特撮版グリッドマンと裕太には何らかの関連性があるのだろうか。

 ここで我々(というか友人)は2つの説を提示。

1.裕太自身がグリッドマン

2.裕太は新世紀中学生と同じくグリッドマン関連のパーツ

 ただ、1に関しては、裕太と別でグリッドマンが存在していたためなかなか難しい説。2の説の方が自然だろう。

 では、パーツがどのようなものなのか、グリッドマンとアクセプターが分離していることから、アクセプター関連の何らかであると考える。実際、変身シーンで「プライマル・アクセプター」と言っていることからも、関連性がうかがえるだろう。

 そしてここで、再び2つ説を提示する。

1.裕太自身がアクセプター

2.アクセプターの因子が裕太に入った

 6つ目の光が周囲の5つ(グリッドマン&新世紀中学生)よりも弱かったことから、存在としては彼らほど確かなものではないと考えられる。

 なおかつ、裕太が目覚めた後、以前に六花との何らかの会話があったことが示唆されることから、コンピューター世界内に以前から裕太という存在はあったことが考えられる。

 散り散りになった光の6つ目がアクセプターに関する因子であり、その影響で、コンピューター世界の裕太が記憶を失ったのだはないだろうか。

 

5.アカネの正体

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 いよいよ本題。

 OPのクラス写真にアカネがおらず、代わりに本編中全く姿を見せない謎の男子生徒Aが右端にいることはもはや言うに及ばずといった感じだが、この写真の季節がよくわからない。先生の表情が微妙なので2話以前以後の区別がつかない。ここでは、この写真を夏に撮影したものとし、本編内、あるいは本編開始直前のものとする(ヤケクソポイント)。

 あまりにも単純すぎて、書いてて笑ってしまうが、あの男子生徒Aがアカネである。単純すぎる。

 ただ、一応それなりの根拠はある。第1項のED考察も参考にしていくと、制服をちゃんと着ていたのはアカネと六花のみ。そしてこのクラス写真で男子生徒Aは制服をちゃんと着ている

 ボイスドラマ1.1話で、「六花は男子にとっては高嶺の花であり、アカネにとって六花は特別な存在」とされている。アカネ=男子生徒Aだとすれば、彼が六花に好意を抱いていたのも考えに難くない。

 なおかつ、本編中の世界はコンピューター世界である。別の現実世界がある。

 少し脱線するが、ここで実際の日本に住む人々を顧みよう。我々はインターネット、転じてSNSでは実名を晒さない傾向にある。一部ビジネスのために実名を出す、若しくは有名人として顔売りのために出す、といったことを除くと、まず稀だ。映画「サーチ」を観ていても実感したが、アメリカと日本では「インターネット上で実名を出す」ことに関する抵抗感がまるで違う。そして好きなキャラクターか人物かの写真をプロフィールに使い、自分の姿は見せない。それが「コンピューター世界」というものだ。

 そして劇中のコンピューター世界において、「本当の人間」はアカネのみである。他の人々は現実世界のつつじ台からコピペされただけのデータといえる。だから、ひとまず本編開始直後ではアカネだけが、「ここはコンピューターの中だ」という認識がある。

 だから、現実世界の男子生徒A自身の気に入らないことは抹消できるか、変えることができる。

 

 それが例え自らの容姿であっても。

 

 言うなれば、コンピューター世界に存在する「アカネ」はアバターであり、コンピューター世界という自覚がある男子生徒Aの理想を投影した姿なのだ。

 

 前述のクラス写真でも少し距離を置いた場所にいた彼は、クラスと馴染むことが出来なかった。六花だけが接してくれた(ED考察参照)のだが、彼女ともいざこざがあり絶望。そのさなかの彼にアレクシスが接触。その誘いに乗り、コンピューター世界に理想のつつじ台を築き、そこで姿すら変えて過ごしていた。

 「本当の人間」が本当の姿ではなかった。という超皮肉なオチ。ヤバいでしょ!(関暁夫)

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 この説の補強として、OPの「僕らのSOSが加速する」のカットを見てみよう。賑わう教室、廊下のロッカーにもたれる孤独の「アカネ」というシーン。ここでも「アカネ」が孤立していたことが示唆されている。

 そして「アカネ」がもたれているのはロッカーであるが、そこから「出てきた」と見ることはできまいか。

 ロッカーは人に言えない内面を、鍵をかけてしまう場所。男子生徒Aの内面を吐露するために「アカネ」が生まれた。そういう考え方もできはしまいか。このロッカーのところ、自分を褒めたいレベルのメタファー考察だからそういう意味が入っててほしい。

 

6.最終回の展開予想

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 ここではOPのラストカットを起点に考察する。ラストカットは、『「アカネ」が微笑むと引いてジャンクの電源が落ちる』という流れ。

 グリッドマン達の目的は、現実世界への影響を断つこと。となると、コンピューター世界の元凶であるアレクシスの撃破に最終的に行き着くだろう。となると必然的にコンピューター世界のつつじ台を消滅させなければならない

 コンピューター世界と現実世界のリンクを知った人々の記憶には、コンピューター世界で経験した記憶が現実世界にも残ると仮定する(ここめちゃくちゃ無理やりポイント)。そうなると、男子生徒Aが「アカネ」の場合、「アカネ」としての記憶は、リンクを知っている人々にしか残らない。

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 EDのアウトロのシーン、六花が屋上でため息をついているのは、「アカネ」との記憶を回想していたからなのだろうか。

 

7.わからんところと散発的な説

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 OPのビニール傘。何があったの。

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 OPのデカい蕾。電柱倒れてるしなにこれ。実はこれが現実世界にあるとか。あのOPで新世紀中学生が出てくる「あの日の誓いって何だっけ」のところ、もしかしたらあれが現実世界とかないですかね。

 あと空を飛んだ時に見えた空中都市だか反転世界だか。あれがコンピューター世界の端っこなのは特撮版で示唆されてるのですが、あそこみたいに、つつじ台の他にもコンピューター世界があって、それぞれに「アカネ」のような神がいるとか考えることもできないだろうか。反転世界的な。

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 OxTのアーティスト写真が不自然に2人の距離を置いているのが、そこの示唆かもしれなかったり。

 

 実は個人的な考えとして、「名作は考察の余地を残す」というのがある。シン・ゴジラツイン・ピークスまどマギエヴァ、エトセトラ。なので、この作品にも全ての謎を劇中で明かしてほしくないと思っている。謎を残すことで、人々をあの世界に永遠に閉じ込めてほしい。

 

 ということで、割とバッドエンドめに考察しました。

 「トリガーは最後は絶対ハッピーエンドにしてきたし、これからもそうだ」と友人は話していましたが、個人的にはここでトリガーにはもう一つ上のステップへ行ってくれと思っています。